世界は一冊の書物に至るか?

「   」にまつわることを、いろいろと。

政治的なシリアスさや現実の不条理をユーモアで包みこむ「寛容さ」を持たないコメディアンは、逆説的にユーモアの能力をみくびっているし、学識や政治の野暮ったさを「芸」として翻訳する知性すら持ち合わせていないのだと臆面もなく表明して、自らの不勉強…

読書という行為は、あらかじめリベラル・ヒューマニズム的に心が開かれた――つまり、いつでも自分の信念を書き換えることのできる――読者へと向けられた閉鎖性を、パラドックスとして保持している。 テリー・イーグルトンが解釈学の概観として記したのは、そん…

彼らはなにも気がついていないのだ。 自分という存在を見つめる能力が著しく欠けているというのに、 「自分という存在をデザインできる」「いや、するべきだ」と声だけを大きくして、 それが安易な嘘でしかないことに気がついていないのだ。 屈強なレイシス…

ディドロの詩学にとって独創性はそれほど重要ではなく、むしろ書物というものが呼応しあい、せめぎあい、他を補いあうものであることが大切だったのである。作家の作業ひとつひとつが意味をもつのは、文化的コンテクスト全体においてである。 自分のつたない…