世界は一冊の書物に至るか?

「   」にまつわることを、いろいろと。

政治的なシリアスさや現実の不条理をユーモアで包みこむ「寛容さ」を持たないコメディアンは、逆説的にユーモアの能力をみくびっているし、学識や政治の野暮ったさを「芸」として翻訳する知性すら持ち合わせていないのだと臆面もなく表明して、自らの不勉強ぶりにすこしも気がついていない。

 

日本社会でまかり通っているいわゆる「芸人」は、話芸の機能、TV番組での立ち位置、舞台での所作ばかりを気にして、芸能界の外側でなにが起こっているのか、本当のところではきっと興味など持っていない。

 

ヴォードビリアンとしての矜持ばかりを持ち上げて、ただ成り上がるために、ホモソーシャルな世界に浸り、上にこびへつらい、観客に笑われながら観客をあざ笑っている。

 

彼らが追及する笑いが生み出すものは、瞬間風速的な笑いでしかなく、そこにペーソスや批評は存在しない。これは笑いとしての質が低いと言っているわけではなく、ただただ圧倒的に狭く、息苦しい。その狭さや息苦しさは、どういうわけか「怒り」や「焦り」といった、笑いからはほど遠い悪感情に酷似している。

 

彼らが求める笑いに必要な人材は、「寛容さ」を持ち合わせた人間などではなく、その悪感情に無意識に同調してしまうような、ひどく歪んだ笑い顔の持ち主なのだろう。